筒井康隆『繁栄の昭和』文藝春秋――喜劇女優「高清子」

筒井康隆『繁栄の昭和』文藝春秋――喜劇女優「高清子」


表紙を見て「これは・・・!」
と思ってパラパラめくるとやっぱり「高清子(こうきよこ)」

スバラシイ装幀なので購入。
筒井康隆の本を新刊で購入したのは中学?高校?以来だと思う。

大御所は生きてる内は寝かして読む方が面白いのポリシーに反した。

電車の中で「附・高清子とその時代」だけ読む。

筒井夫人は高清子にそっくりらしい。
夫人自ら似てると認めるのだから、確かだろう。
しかも夫人はベティちゃんにも似ているとか。
ベティ・ブープ伝』はそういう理由での関心と出版だったのか。

本によれば高清子は主に戦前にエノケン劇団や映画で活躍した女優で戦後は劇団「新風俗」に出演した。
戦前、二十歳の時に同じエノケン劇団の正邦乙彦と結婚する。
正邦は後にジプシーローズを発掘して有名になる、毀誉褒貶激しい人物だ。
高は彼の正妻として、戦前戦後を正邦の母親や子どもの面倒を見ながら、とかく苦労したという。

なぜわざわざこれを書くのかというと、かれこれ15年以上前だが
私は「高清子の娘」を名乗る人物から電話を貰ったことがあるからだ。
おそらくは当時カジノ・フォーリーについて書いた論文を知っての電話だと思うが
穏やかな平日の昼に受話器を取ると、粋なり高齢の女性の声で

「初めまして、私は高清子の娘なんですが、母について何か知っていたら教えてくださいませんか?」

と早口で言われたのを覚えている。

当時、高清子につていはプログラムで名前を知る程度だった私は、咄嗟に
戦前のエノケン関係のプログラムや、戦時中のムーラン・ルージュ新宿座で名前を見かけること
映画『エノケンの魔術師』に出演していること
戦後も新風俗、池袋アヴァンギャルドという軽演劇の有力劇団に名前があるので、
軽演劇女優としての確かな信頼と一定の演技力の評価があっただろうこと
以上のような内容を、あたふたと電話口で話した。
「高清子」という変わった名前だったので、プログラムなどで見かけて印象に残っていたのが幸いだった

「ありがとう御座います。何か他に分かったら教えて下さい。」

と言われ、電話番号を教えて貰い、私は急いでバイトへと出た。。
が、結局その後も高清子についてめぼしい新情報がなかったことと
電話のせっかちなで押しの強い声を再び聞くことが何だか億劫で
とうとう連絡をしないまま今日にいたってしまった。

筒井康隆が調べている、となれば娘さんも喜ぶだろうと思い電話番号を探してみたが
当時の手帳やノートに電話番号の記載はなかった。
また日を改めて探してみるが、大掃除したり、引っ越ししたり、それ以前に整理整頓の意味が分からないし
といった生活なので、今更見つける自信がないのが反省される悔やまれる。
20代の頃は、ここまでマイナーな、忘れ去られた人々ばかりの世界に首を突っ込んでいるとは思ってなかった。

高清子について知りたい、もしかすると本を書こう、といった出来事はおそらく今後ないだろうし
少なくとも筒井康隆といった有名人が向こうから関わってくることもないと思う。
情報が集まって、評伝が出れば嬉しい。

繁栄の昭和

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